「一番湯のカナタ」の打ち切りと作者の今後
 昨日、椎名高志の「一番湯のカナタ」の打ち切りが作者のオフィシャルサイトで発表されていた。この作品は、「MISTERジバング」の後に始まった連載で、週刊少年サンデーでは3作目の長期連載作品となる。ただ、3巻目で終わるので長期かどうかはちょっと首をひねるところではあるが。個人的には前作よりはいけるかなと思っていた。前作は、個人的にはかなり”ハズしている”作品だったということもある。これは、ある漫画家が書いていたことだが、「デビュー1作目をヒットさせて長期連載してしまうと、それしか描けなくなる」ということがあるそうだ。これは椎名高志にもろに当てはまると思う。筆者が思うに、最初の作品のヒットの理由を勘違いしているからというのが一つあるのではないかと思う。1作目のGS美神は、筆者も第1巻からすべて初版本を揃えているファンの一人であるが、これの長期連載の理由は、キャラクタが読者とともに成長していった(というかキャラに魂が入って動き出した)ところにあると思う。そして、少なくとも勢いが出る前に、筆者が読者を置き去りにするようなことをしていっていないところにあるように思う。(勿論、最初の設定がよく、個々の話の出来もよいのだが)横島や美神、おキヌの3人はどんどん増えるレギュラーキャラと絡みながら、じっくりと熟成され、読者に受け入れられてきたのではないか。しかし、前作と今回の作品はどうも作者が好きに突っ走っていて、キャラが育つ前に作者自身の世界に入り込んでいるような気がする。読者が置き去りにされているっぽいと思うのである。どことなくおもしろくないなぁというのはその辺があるような気がするのだ。それが顕著だなぁと思うのは、作者のサイトでMISTERジパングが終了時点で、「殿というキャラにあえたことが収穫」と書いていたところだと思う。このキャラは確かにいいキャラクタとはいえるが、叫んで熱血ばかりしているキャラクタというのは、読者がついてきてこそいい形に収まるのであって、下手をすると周りはどんどん醒めていくものである。これを生かすにはやはり話が短すぎるし最初から飛ばしすぎの気がする。(それ以前に、椎名高志が書く漫画ではなかったような気もするけど。あと、司馬遼太郎の「国盗り物語」の内容が多かったように思うのだが・・・)

 さて、今作は・・・最初の設定で、「これは前より悪くなるかも」とは思った。今更藤子不二雄のマネをするのもどうかという気がした。読んでみて、そんなに悪くはないけど、設定的には厳しいかもしれないと思った。とにかくメインキャラが叫んで熱血するやつなのでやっぱり厳しいかと。熱血するのはやっぱりストーリーが盛り上がってくるのにあわせないと読者はついてこないよなぁという気がする。(いや、どたばた喜劇ならまだいいのだが、そうでもないし・・・)

 結局のところ、前作と今作はもし”GS美神の椎名高志”じゃなかったら買ってない程度の作品だったというのは否めないと思う。GS美神の後半を引きずって2作を描いてしまって、なんか熱血正義感を変に出すのは、やっぱり駄目なんじゃないだろうか。次回作は、初心の椎名高志の作品を読みたいものである。


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006303 <2002/11/23>